大阪高等裁判所 平成3年(ネ)1582号 判決 1992年5月27日
控訴人 高岸理佳
右訴訟代理人弁護士 寺崎健作
同 河村武信
控訴人 高岸小ナヲ
右法定代理人後見人 南輝雄
被控訴人 高岸忠男
右訴訟代理人弁護士 松丸正
主文
一 原判決を取り消す。
二 本件訴えを却下する。
三 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一控訴の趣旨(控訴人高岸理佳)
一 主位的
主文一、二項同旨。
二 予備的
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人の請求を棄却する。
(なお、本件控訴の申立ては、控訴人高岸理佳のみがしたものであるが、同控訴人と控訴人高岸小ナヲとは必要的共同訴訟における一審共同被告の地位にあるから、控訴人高岸理佳による本件控訴の申立てにより、控訴人高岸小ナヲも控訴人の地位に就くものである。)
第二事実関係
一 請求原因
1 被控訴人は、控訴人高岸小ナヲ(以下「控訴人小ナヲ」という。)のいとこである高岸儀一の子である。
2 控訴人小ナヲは、昭和六一年二月三日、大阪法務局所属公証人林義一の役場において、公正証書遺言の方式により、その所有する全財産を被控訴人に遺贈する旨の遺言(以下「本件第一遺言」という。)をした。
3 昭和六三年一月一三日、控訴人小ナヲが控訴人高岸理佳(以下「控訴人理佳」という。)を養子とする養子縁組(以下「本件養子縁組」という。)の届出が大阪府堺市長に対してされ、その旨戸籍簿に登載された。
4 しかし、本件養子縁組は、次の理由により無効である。
(一) 本件養子縁組の届出は、控訴人理佳の養親で控訴人小ナヲのいとこに当たる木下秋水夫妻が、控訴人小ナヲの氏名を冒用してしたものであり、控訴人小ナヲには養子縁組の意思がなかった。
(二) 控訴人小ナヲは、昭和六三年一月当時、老人性アルツハイマー型痴呆と多発梗塞性痴呆の混合型の痴呆のため意思能力を有していなかった。
5 よって、被控訴人は、本件養子縁組が無効であることの確認を求める。
二 控訴人理佳の本案前の主張
被控訴人は、本件養子縁組の無効確認請求の当事者適格又は訴えの利益を有しない。
1 養子縁組無効確認の訴えは、特定の養子縁組が判決をもって無効とされるべきことを主張する訴えであるから、形成の訴えである。そして、養子縁組の無効は縁組意思の欠缺によるものであるから、養子縁組無効確認の訴えは、縁組の当事者である養親又は養子に限り提起できるものと解すべきである。したがって、本件養子縁組の当事者でない被控訴人は、本件養子縁組無効確認請求の訴えの正当な当事者ではない。
2 養子縁組無効確認の訴えが確認の訴えであるとしても、被控訴人は、本件養子縁組の養親である控訴人小ナヲのいとこの子であり、単に五親等の親族にすぎないから、その無効を確認する利益を有しない。本件養子縁組が無効であっても、被控訴人の相続・扶養その他の身分関係上の権利義務には何らの影響を及ぼさないし、特定の権利を取得し義務を免れさせるという関係にもないからである。
3 被控訴人は、控訴人小ナヲが昭和六一年二月三日にその全財産を被控訴人に遺贈する旨の第一遺言をした旨主張するが、控訴人小ナヲは、昭和六三年一月二七日、大阪法務局所属公証人林義一の役場において、公正証書遺言の方式により、本件第一遺言を取り消す旨の遺言(以下「本件第二遺言」という。)をした。したがって、控訴人は、本件第一遺言の存在を理由にして本件養子縁組の無効確認の利益を主張することはできない。
4 さらに、そもそも、本件第二遺言の存否にかかわらず、被控訴人は、控訴人小ナヲの受遺者の地位にあることを理由として、本件養子縁組の無効確認の利益を有するものとすることはできない。受遺者たる地位は、相続や扶養その他の身分関係上の地位とは明らかに異なる財産上の地位であり、遺贈者である控訴人小ナヲの養子縁組とは何ら関係がない。被控訴人が、本件第一遺言により、控訴人小ナヲの死亡によって同人の全財産を取得し得る期待権を有することになるとしても、それは、いまだ確定的な権利ではない。むしろ、遺言の最も重要な特質は、遺言撤回の自由が支配するところにあり、受遺者の地位は不安定、不確実なものである。被控訴人が本件第一遺言によって有する地位は、右のように不安定、不確実なものにすぎないから、被控訴人主張のように、本件養子縁組により控訴人理佳が将来控訴人小ナヲの相続人として遺留分減殺請求権を行使できる立場に就くことによって、被控訴人の右期待権が害されることになるというような理由で、本来身分関係の創設・変更という当事者にとって重大な意義を有し、かつ、関係者に対して画一的にその効力を及ぼすことになるものに介入させるべきではない。また、右の被控訴人の期待権を確保するということは、単なる財産上の利害関係にすぎないのであり、被控訴人は、本件養子縁組の無効確認の利益を有しない。
三 控訴人理佳の本案前の主張に対する被控訴人の反論
被控訴人は、次のとおり、本件養子縁組の無効確認を求める当事者適格及び訴えの利益を有する。
1 養子縁組という身分法上の行為についての無効は、法律上当然かつ絶対の無効であり、判決の手続を経なくとも、何人でも利益のある限り主張できるものであり、養子縁組無効確認の訴えは確認訴訟である。
2 被控訴人は、本件養子縁組の養親である控訴人小ナヲの五親等の血族であるところ、親族関係は、社会生活上重要な意義を有するとともに、次のとおり法律上の効果を生じるものである。すなわち、民法上の効果としては、<1>婚姻・養子縁組の取消請求権(七四四条、八〇五条、八〇六条、八〇七条)、<2>親権・管理権の喪失又はその取消しの請求権(八三四条ないし八三六条)、<3>後見人、後見監督人及び保佐人の選任・解任請求権(八四一条、八四五条、八四七条、八四九条、八五二条)、<4>廃除確定前の相続開始の際の遺産に関する必要な処分の請求権(八九五条)等がある。さらに、刑法上の効果としても、犯人蔵匿・証憑湮滅の罪については、親族間においてなされたときは刑を免除することを得ることになっており、窃盗の罪は、直系血族等については刑が免除され、親族間においては親告罪となっており、詐欺・恐喝・横領・贓物に関する罪についても、ほぼ同様になっている。その他の法令においても、親族たる関係をもって多くの法律上の効果が生じる。したがって、親族関係の存否の不明による身分関係上の不安定さのみならず、そこから派生する多くの法律上の効果の存否不明による不安定さを解消するために、親族たる地位に基づき養子縁組無効確認の訴えの利益が認められるべきである。さらに、民法八〇五条ないし八〇七条により、親族には養子縁組の取消請求権が認められているが、養子縁組の取消しと無効とを比較すれば、その瑕疵の程度は無効の方が取消しより大であることはいうまでもない。養子縁組の取消請求権が親族にある以上、養子縁組の無効確認の訴えにつき親族にその確認の利益が認められるのは当然である。
以上のとおり、被控訴人は、親族たる地位に基づき本件養子縁組の無効確認の訴えの利益を有する。
3 さらに、控訴人小ナヲは、被控訴人に包括遺贈をする旨の第一遺言をしたので、被控訴人は、包括受遺者としての期待権を有するところ、その後、子小ナヲは、アルツハイマー型痴呆と多発梗塞性痴呆の混合型の痴呆のため意思能力を喪失するに至り、禁治産宣告も受けており、その症状からみて意思能力を回復することは不可能である。したがって、被控訴人が本件第一遺言により有する包括受遺者としての期待権は、期限付の権利といってもよいのである。ところで、本件養子縁組により、控訴人理佳は、右遺贈の効果が生じたときには、控訴人小ナヲの養子として遺留分減殺請求をできる地位にあることになる。このような両者の関係からすれば、被控訴人が控訴人理佳からの遺留分減殺請求を受けることのない包括受遺者の地位にあることを身分法上も明らかにするために、被控訴人に、現時点において本件養子縁組の無効確認の訴えの利益が認められるべきである。
4 控訴人理佳は、控訴人小ナヲが本件第二遺言で本件第一遺言の遺贈を取り消した旨主張する。しかし、本件第二遺言をした昭和六三年一月当時、控訴人小ナヲは意思能力がなかったから、本件第二遺言は無効である。
四 請求原因に対する認否(控訴人理佳)
請求原因1、3の事実は認めるが、その余の請求原因事実は否認ないし争う。
控訴人小ナヲは、本件養子縁組当時、高齢ではあったが、養子縁組による法律上の効果を理解する能力を有しており、高岸の家名を継ぎ、祖先の祭祀を継ぐ者を確保し、これに遺産を相続させることを期待して、自己の意思で、母方の親戚に当たる控訴人理佳を養子に迎えることにして、本件養子縁組をしたものである。本件養子縁組の届出書には、控訴人小ナヲが自ら署名押印した。
第三当裁判所の判決理由
一 本件訴えの適否について判断する。
1 本件訴えは、控訴人小ナヲのいとこの子に当たる被控訴人が、控訴人小ナヲと控訴人理佳の間の本件養子縁組の無効確認を求めるというものであるところ、証拠<書証番号略>によれば、被控訴人は、控訴人小ナヲのいとこである高岸儀一の子であること、昭和六三年一月一三日、大阪府堺市長宛に、控訴人小ナヲが控訴人理佳を養子とする旨の本件養子縁組の届出がされ、その旨戸籍簿に登載されたことが認められる。
ところで、養子縁組無効確認の訴えは、縁組当事者以外の者もこれを提起することができるが、当該養子縁組が無効であることにより自己の身分関係に関する地位に直接影響を受けることのない者は、右訴えにつき法律上の利益を有しないと解するのが相当である(最高裁判所昭和六三年三月一日第三小法廷判決・民集四二巻三号一五七頁参照)。
これを本件についてみると、被控訴人は、控訴人小ナヲのいとこの子であるから、控訴人小ナヲの五親等の血族であり、また、本件養子縁組が有効であれば、被控訴人と控訴人理佳との間には六親等の血族関係が生じることになり(民法七二七条)、いずれも民法七二五条の定める親族の範囲に含まれることになる。ところで、民法、刑法その他の法令の規定により、親族関係に基づいて種々の法律効果が発生することは、被控訴人の主張するとおりである。しかし、被控訴人と控訴人両名の間の関係は、せいぜい五親等又は六親等の親族関係にすぎないのであって、本件養子縁組が無効であることによって、被控訴人の相続・扶養等の関係に何ら影響を及ぼすものではないし、その他、被控訴人が具体的に権利を得、又は義務を免れるような関係にはないものといわなければならない。したがって、被控訴人は、現在の時点において、本件養子縁組が有効か無効かが確定しないことによって、身分関係上の地位が不安定であるとはいえないことが明らかである。
被控訴人は、民法八〇五条ないし八〇七条により、親族に養子縁組の取消請求権が認められていることを根拠にして、親族に養子縁組の無効確認の利益が認められるべきである旨主張する。なるほど、民法八〇五条によれば、養子が尊属又は年長者である縁組の取消請求権が当事者の親族に、同法八〇六条によれば、後見人・被後見人間の無許可の縁組の取消請求権が養子の実方の親族に、同法八〇七条によれば、養子が未成年の無許可縁組の取消請求権が養子の実方の親族に、それぞれ認められている。しかし、取り消し得べき縁組は、民法の定める取消権者が取消しの訴えを裁判所に提起してしなければならず、縁組取消しの裁判が確定するまでは、何人もその効力を争うことができないものである。これに対して、縁組の無効については、縁組の無効により自己の財産上の権利義務に影響を受ける者は、右権利義務の存否に関する訴訟において、右権利義務に関する限りで縁組の無効を主張することができるのである。右のような縁組の取消しと無効の場合の違いに照らせば、民法の前記規定によって縁組の取消請求権が親族にも認められていることから、縁組無効確認の訴えについても同様に解さなければならないものとすることはできない。
したがって、被控訴人は、控訴人らと前記のような親族関係が存在し、又は本件養子縁組によって生じる関係にあることを理由としては、本件養子縁組の無効確認を求める法律上の利益を有しないものというべきである。
2 次に、被控訴人は、控訴人小ナヲが被控訴人に対し全財産を遺贈する旨の本件第一遺言をしたことを理由に、本件養子縁組の無効確認の訴えを提起する当事者適格ないし訴えの利益を有する旨主張する。
しかるところ、証拠<書証番号略>によれば、昭和六一年二月三日、被控訴人主張の内容の遺言公正証書が作成されている事実が認められる。したがって、本件第一遺言が撤回されることなく控訴人小ナヲが死亡すれば、被控訴人は、控訴人小ナヲの遺産につき包括受遺者の地位にあることになり、これに対して、本件養子縁組により控訴人小ナヲの養子となった控訴人理佳は、遺留分減殺請求権を有することになるから、控訴人理佳から遺留分減殺請求を受けた場合には、被控訴人が、自己の財産上の権利義務に影響を受けるものとして、本件養子縁組の無効を主張する利益を有することは明らかである。しかし、遺贈は、遺贈者の死亡によって効力を生じるものであり、いつでも遺贈者において撤回することができ(民法一〇二二条)、遺贈者の死亡以前に受遺者が死亡したときは、その効力が生じないものである(同法九九四条)。したがって、遺贈は、遺贈者の死亡による効力の発生までは、何らの法律関係も生じさせず、受遺者は、何らの権利も期待権も有しないものというべきである。このことは、遺贈者が高齢であり、しかも、遺贈する旨の遺言後意思能力を失い、回復する見込みがないというような場合であっても異ならない。なお、本件第一遺言は、控訴人小ナヲの全財産を被控訴人に遺贈するという内容であるから、控訴人小ナヲが死亡したときには、被控訴人は包括受遺者として、相続人と同一の権利義務を有することになる(同法九九〇条)が、前述の遺贈の法的性質に照らせば、包括受遺者の地位は、遺贈者の生前においては、推定相続人、ことに遺留分を有する推定相続人に比べて、はるかに不安定なものであり、やはり、遺贈の効力発生までは何らの期待権も有しないものといわなければならない。
そうすると、被控訴人が、将来、本件養子縁組の存在によって自己の財産上の権利義務に影響を受けることがあり得るとしても、控訴人小ナヲの生存中である現時点においては、本件養子縁組が有効か無効かが確定しないことによって、自己の身分関係に関する地位が不安定であるとはいえず、本件養子縁組が無効であることにより自己の身分関係に関する地位に直接影響を受けるものとはいえない。
したがって、被控訴人が、本件第一遺言による遺贈の存在を根拠にして本件養子縁組の無効確認を求める法律上の利益を有するものと認めることはできない。
3 よって、被控訴人は、本件訴えにつき法律上の利益を有しないものというべきである。
二 以上の次第で、本件訴えは、不適法であるから却下すべきところ、これと異なる原判決は相当でないから、これを取り消し、本件訴えを却下することとする。
(裁判長裁判官 中川敏男 裁判官 渡辺貢 裁判官 小松一雄)